中流はどこへ消えた
僕が若いころ、世の中は「一億総中流」と言われていました。
本当に世の中のほとんどの人が「自分は中流だ」と思っていた時代があったのです。
1970年代から90年代初めまで、自分の生活水準を「上流」または「下流」と考える人は1割に満たず、それ以外の人は全て自分が「中流」だと答えるという、今思えば異常な時代です。
異常な時代ですが、日本が最も幸せだった時代とも言えるかもしれません。
そしてそれはバブル崩壊とともに終わるのですが、「一億総中流」という幻想だけは、格差が開き始めているのにしばらくの間続きます。
すでに「下流」にカテゴライズされるべき立場に居るのに、「自分は中流だ」と思っている人が、いや、そう信じたいと思っている人がまだまだ世の中の大半を占める世の中が、つい最近まで続いていたのです。そして未だにそう思っている人もいるでしょう。
ですが、ここにきて、ようやく格差社会を肌で感じる人が増えて来たのではないでしょうか。気が付けば、世の中が「持つ者と持たざる者」に分かれつつあるということを。
そもそも中流とは?
そもそも中流とはどのくらいの収入のある人たちを指すのでしょう?
アンケートを取ると大体「年収500万~700万」くらいになるのだそうです。
そして現在の平均年収は432万円なんだそうです(29年度民間給与実態統計調査)。
即ち中流とは「平均年収プラス200万円前後の余裕がある人のこと」となります。
そんなに収入ねーよ!と思われた方も多いのではないでしょうか。
僕もそうです。そしてその意識こそが格差なんですよね。
格差を生む要因として、僕は
・地域差
・少子高齢化
・非正規就業の増加
の三つを最も大きなものと考えています。もちろん他にも様々な要因があることは承知していますが、今一番影響が出ているのはこの三つだと思うのです。
僕は福岡の片田舎に住んでいますし(地域差)、子供はいません(少子化)、そして非正規で就業しています。だからこそこの三つを身近なものとして感じるのかもしれません。
しかし、別の要因から格差を感じている人でも、僕と同じように「自分は中流・・・、では無いかな」と思うのではないでしょうか。
世に溢れる「お金持ちになるには」
新聞やネットニュースを読んでいると、最近やたらと「お金持ちになるには」系の記事を目にするとは思いませんでしょうか?
「お金持ちがやっている5つの習慣」であるとか
「富裕層の考え方」であるとか「お金持ちが絶対にやらないタブー」であるとか、
お金持ちになる為に、お金持ちの行動原理を学ぼうと呼びかけている記事です。
それらの記事が悪いとは言いませんが、最近本当によくその手の記事が目に付くようになったと感じます。そしてそれこそが世の中が「持つ者と持たざる者」とに二極化してきている証拠だと思うのです。
でも僕はこの手の記事を読むといつもこう思います。
「そりゃお金があるに越したこたぁないけど、生活に困らなけばそれで良くね?」
と。
みんながみんなお金持ちになるなんてあり得ません。
しかし、みんながみんな安心して暮らせるだけの生活レベルを維持することはできると僕は思います。そんな社会は目指せると思います。
一億総中流を再び!とまでは言いませんが、「将来、野垂れ死にするかも」なんて不安を本気で感じる今のご時世は、やはり健全なものとは言えないでしょう。
中流でいいのに・・・タイトルでそう書きましたが。中流こそが目指す道。そんな時代になったのかもしれません。
にーにはね、ねーねのパパに結婚の挨拶に行った時に何て言ったと思う?
「娘さんを僕にください!」
あなた若いのに言うことがいちいち古臭いわね。
「大事な娘を、どこの馬の骨かもわからん奴に渡せるか!」
なんでアンタ乗ってんのよ!(猫パーンチ!)
僕その場に居たから知ってるよ。にーには「娘さんに裕福な暮らしはさせてあげられないかもしれませんが、寒い思いやひもじい思いは絶対にさせません」って言ってた!
ヒューヒュー!
そうね。お陰で、あたしたちもヌクヌクとお腹一杯食べられるのよ。だから感謝しないとダメよ、ねーねに!
え? そうなるの?(;'∀')
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