「どうにかなる」時代の終わり
令和カウントダウン、渋谷交差点の映像、ご覧になりましたか?
降りしきる雨の中、人々が集まり、大型スクリーンにスマホを向け、午前零時を待つ。そしてその時、ずぶ濡れになりながら弾けるように喜びを爆発させていました。
その行為の是非を問うているのではありません。
そこに集まった人の多くは若者、でした。彼らは新しい「令和」という時代の到来の、何を喜んでいるのか、何を祝っているのか。
もちろんつつがなくご退位とご即位の儀が行われ、皇位継承がこのようにスムーズに行われたことは大変画期的であるし、時代の変化を感じる出来事でもあります。
しかし、この若者達の熱狂はそれだけではとても説明できません。
もちろん私見ですが、彼らは「きっと何か良いことが起きる」または起きて欲しいとういう希望、いやむしろ切望に近い感情に突き動かされているのではないでしょうか。
自分の将来を展望した時、鮮明なビジョンを思い描く事ができない。そんな漠然とした不安の裏返しとして、新たな時代の到来に何か明るい良いことがきっと起こる。その願いが噴き出した様子が、カウントダウンだけではなく、若者だけでもなく、日本中で起こっている令和フィーバーの一面だと思います。
令和という時代に「一切、なんの不安もない」という幸運な人は、どれほど居るのでしょうか。
お祝いムードに満ちたこの日に、こんな話をして本当に申し訳ありませんが、少しでも僕の話に共感いただける人はぜひお付き合いください。
確かに時代は変わる
元号が令和に改められ、新しい時代の幕が開けました。
しかし、全てがこのように目に見えて、はっきりと変わるわけではありません。たちの悪いことに、本当に重要な私たちに関わりのあることは「気づかない内にいつの間にか」変わっているものなのです。
さらにたちの悪いことにそれが多くの場合いつの間にか変えられているという事。
ひとつ例を挙げれば年金。僕たちの世代だと特に良く耳にすることなのですが、「昔の人たちの年金は多かった」と言われます。実際これは本当です。納めた年金保険料に対して受給できる年金額は、例えば大正生まれの方など(旧法の年金受給者)とこれから年金を受け取り始める我々とは、全く違います。それは計算方法が違うからです。
年金法というのは過去何度も改正され、その度にこれから年金を受け取る人、我々の年金額を左右してきました。しかし、その内容を知っている人はどれだけいるでしょうか。よっぽど新聞を読み込む方であるとか、社労士であるとか、その分野のエキスパートでもない限り理解できていないと思います。僕もその一人です。
自分で「どうにかする」時代へ
しかしそれを「なぜ勝手にそんなことをするのか!」「なぜ教えてくれないのか!」と憤ってもどうしようもありません。我々が選んだ政治家が正規の手続きで法改正を行ったのですし、関係省庁は適切に周知を行ったと言うだけです。
なのでまずはちゃんと自分の意見を反映してくれそうな政治家を選ぶこと、そして自分から知ろうとする姿勢を持つことが大事だと僕は思います。
僕は政治的発言はする気が無いので、特に二つ目のことについて述べさせてもらいますが、僕と同じように将来に不安があるのであれば「その不安の原因は何なのか、そしてその不安を解消するためにどうすれば良いのか」、それを自分で突き詰めていかないといけません。
まもなくどうにかなる時代は終わり、自分でどうにかしないとどうにもならない時代がやってきます。逆に言えば安心は自分の手で作れる時代とも言えます。いつの時代もそうだったのかもしれませんが、これからの時代は間違いなくそれがより如実になるはずです。
不安には、自分で立ち向かうしかないのです。
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