まっぴらごめん~50歳からのセミリタイア挑戦~

老後は好きなことして過ごしたい! 生活のために働き続けるなんてまっぴらごめん。余生を「猫の保護活動」に注力するため、セミリタイアを目指して奮闘する日々を綴ります。

虚礼の絆の狭間で。誰かが旗を振る虚礼廃止と、やむなく消えていく礼儀。

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開催されなかった「本家」の集まり

皆さん、お盆休み満喫されましたか?

今年は人によっては9連休だったそうですね。お盆関係無し、カレンダー通りの勤務だった僕には羨ましい限り。

 

しかし今年は台風も来ましたし、予定が狂った方も多いでしょう。

 

我が家の祖父方の「本家」では、毎年「分家」の人間が集まって法要があります。いや、あってました。今年は開催されませんでした。台風のせいではありません。

 

「本家」の主人であった僕の従兄弟叔父*1は3年前に亡くなり、本家にはその奥さんだけが残ってました。

親戚の女性陣に手伝ってもらっていたとは言え、その従兄弟叔父の法要の際には食事やお土産の采配をし、端から見ても「大変だろうなぁ」と感じていました。

 

その従兄弟叔母がぽつりと呟いたのです。

「主人の3回忌も無事務めたし、もうお盆の集まりはやめようと思う」と。

 

その場にいた親戚のほとんどが「そうね~、残念やねぇ」とは言っていましたが、誰も反対の意見を出すことはありませんでした。僕と同じように内心「大変やねぇ」と感じていたのでしょう。それに毎回の御仏前と、それに見合うお膳の準備。迎える側も呼ばれる側も少なからずの負担があったはずです。

 

従兄弟叔母が「やめたい」と言い出した時、正直僕はほっとしました。

 

しかし同時に、定期的に親戚が顔を合わす機会がなくなったのも事実。

決して親戚の方々は悪い人ではなく、会うのが苦痛だったわけではありません。僕の正直な気持ちは「めんどくさい」。ただそれだけだった気がします。

 

言わばこの毎年のお盆の集まりを僕は「虚礼」だと感じていたのでしょう。

虚礼とは「うわべばかりで誠意を伴わない礼儀。形式的な礼儀。コトバンクより)」なんだそうです。

 

しかしそれが今年、実際に開催されずにお盆が過ぎてみると「あの方は元気にしてたのかな?」「あの話はどうなったのかな?」と、意外と気になることが多いことに気が付いたのです。

 

虚礼だと思っていた年中行事が、実はしっかりとした「礼儀」であり、親戚の絆を確認する場だったのではないかと、今は感じています。

 

虚礼廃止と守りたい絆

数年前から「虚礼廃止」が叫ばれるようになりました。

 

僕もバレンタインの義理チョコや年賀状、過度なお中元やお歳暮、それに町内会の行事への参加強要など、「要らねえんじゃね?」と心の底から感じるものは廃止、または縮小へ進むべきだと感じています。

 

ですが誰かが旗を振る「虚礼廃止」のほとんどはその実は「経費削減」です。

特にビジネスの場で目にする「虚礼廃止」お言葉にはその匂いが強すぎて鼻白んでしまします。

 

up-to-you.me

 

しかし今回のように「やりたくてもできない」事情で消えていく時節の挨拶や行事。従兄弟叔母の寂しそうな顔を見て、今まで「家系」や「地域」が担っていた絆の形が変わりつつある、そう感じたのです。

 

 

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*1:いとこおじ・・・父母の従兄弟