東京キャットガーディアンが告発されました
NPO法人「東京キャットガーディアン」が、元スタッフ数名より告発されています。
5月末に告発サイトも立ち上げられ、情報が発信されています。
そしてその告発に対し、東京キャットガーディアンの代表である、山本葉子氏も先日コメントを発表しました。
両者の主張の詳細は上記リンクで確認いただければと思います。
僕はどちらが正しいとか、誰が悪いとか言う気はありません。実情をこの目で見たわけでもなく、ネットの情報しかない状況で、それを判断する立場に無いと思うからです。
ですが、だからといって今回の一連の動きを無視するわけにはいきません。なんと言っても東京キャットガーディアンは日本最大級の保護猫団体であり、僕ら夫婦が猫の保護活動を考える上で、お手本としていた団体なのですから。
なので今日はこの告発の動きを目にして、僕が思うことを述べさせていただければと思います。
東京キャットガーディアンがなければ「保護猫共生賃貸®necotto」は生まれなかった
僕ら夫婦は福岡の片田舎で、保護猫共生賃貸®necottoという「保護猫を飼うことが入居条件」のアパートを立ち上げ、昨年より経営しています。
この保護猫共生賃貸という形態を思いついたきっかけとなったのが東京キャットガーディアン代表である山本氏の著書である「猫を助ける仕事」です。
僕たちはこの著書を読み、その中の「足りないのは愛情ではなくシステム」という言葉に深い感銘を覚えました。それが今のnecottoに繋がっています。僕ら夫婦が僕らなりに出来る保護活動のシステムとして考え付いたのが、保護猫共生賃貸という形態だったのです。
その経緯については、こちらの記事で詳しく書いています。
その東京キャットガーディアンが、元のスタッフにより「保護活動とは程遠い実情」として告発されているのです。こんな悲しいことはありません。
告発サイトで語られていることがどこまで本当なのか、山本氏の反論はどこまで信用できるのか。それは、その主張に触れる各々の方が判断すればいいことです。僕は「失望した! 裏切られた!」という気も、「東京キャットガーディアンが陥れられようとしている!」という気もありません。
ただ「なんでこんな事になっちゃったんだろう」「今、東京キャットガーディアンに居る子たちはどうなるんだろう」と思うだけです。
願わくば、今回の騒動で不幸な子が増えない事を祈るばかりです。
結局キャパオーバーとなってしまったシステム
今回の告発に対し、山本氏も「同施設で猫パルボウイルス*1が発生したこと」や、劣悪な飼育環境などは(一時的処置として)認めています。
これを「保護じゃなく虐待じゃないか!」と非難することは簡単です。
しかし、初めから劣悪な環境を承知で活動をしてきて、ここまで巨大な組織に成長することが可能でしょうか。
これは僕が「そうであってほしい」という願望の現れかもしれません。
しかし、少なくとも最初は純粋に「不幸な猫を救いたい」、そんな気持ちで始まったのではないかと、僕は思います。そう信じたいです。
今回こんなことになってしまったのは、「完成したはずのシステムに歪みが出てしまった」一重にそれに尽きると思っています。
余りに多くの猫に触れることにより、一匹一匹の猫に対する愛情が希薄になってしまった。そんな面もあるのかもしれません。
しかしそれも「完成したシステム」の中で、余裕を持って循環していれば、きっとこんなことにはならなかったはずです。
目の前に助けを求める命がある。その時あなたはどうしますか?
雨の日に、濡れながら母猫を呼ぶ子猫を見つけます。母猫が現れる気配はなく、ブルブル震えるその子猫の声は、通り過ぎようとする貴方の耳にいつまでも残ります。
その時あなたはどうするのか。
その声を振り払い、「きっと誰かが助けてくれる」と自分に言い聞かせながら立ち去る人もいるでしょう。
すぐさま抱き上げ、連れて帰る人もいるでしょう。
前者は悪人で、後者は善人でしょうか?
「助けてあげたい」その気持ちはどちらも一緒です。
ただその後に「けど」という言葉が続くのか「から」という言葉が続くのか。それが行動を分けるのです。
助けてあげたいけどウチはペット禁止のアパートだし・・・。
助けてあげたいからとりあえず連れて帰ってそれから考えよう。
どちらの判断も非難されるようなものではありません。
子猫を連れて帰ったとしても、そのまま飼う人も居れば、里親を探す人もいるでしょう。一度立ち去った人だって、気になって戻ってくるかもしれません。
保護活動の原点って、結局はこういった状況での気持ちなのではないかと僕は思います。
ただ、ことそれが組織になった時、そしてそれが大きければ大きいほど、キャパオーバーを起こした時、それが招く悲劇は大きくなります。その気持ちを大切にしていたはずなのに、いつの間にか逆に苦しめるような結果を招いてしまう。
目の前に助けを求める命がある。そして少し無理すれば救うことができる。そうなった時の「少し無理すれば」「少し無理すれば」、その積み重ねが、余裕があるはずだったシステムを歪めてしまう。
そんなことが今回も起こってしまったのではないか、そう僕は思っています。
安定的で有効なシステムとその向上を常に求めること
時に冷淡だと誹られても、キャパオーバーを招くようであれば、受け入れてはいけないのだと僕は思っています。結果より多くの不幸な子を生むことになるからです。
保護活動をされている方を見ていると、時折目一杯張りつめて、切れそうな糸のように感じる方がおられます。自分の時間もお金も顧みず、ひたすらに活動されている方もおられます。
そんな方にはただ頭の下がる思いですが、みんながみんなそんな状況で活動していたら、いつかは張りつめた糸が切れるのは明白です。活動がどこかで破綻してしまいます。そのことについても以前書かせていただきました。
車のアクセルペダルとブレーキペダル、そのどちらにも「遊び」と呼ばれる可動域が設けられています。実際の制動には関係ないのですが、スムーズな運転には不可欠な余裕です。それがなければ車はまともに動けません。
そんな「遊び」の部分、余裕をもった活動こそが、今後の保護活動には必要だし、それが保護活動のすそ野を広げることに繋がると僕は思っています。
「足りないのは愛情ではなく、システム」
僕らが憧れたこの言葉、残念ながら僕らが目指すべきシステムにはなっていなかったということでしょう。
ですが山本氏も今回のコメントの中で「改善に取り組む」と明言しておられます。今回の件がより良いシステム作りの契機になること祈りつつ、今後の動向を注視していこうと思っています。
そして僕らも僕らなりに、僕らにとって最良と思われるシステムを模索していかなければいけないのです。そう思いを新たにしました。
あなたも、少しでも保護活動に興味があるのであれば、自分なりの、自分だけのシステムを見つけてください。この世界から、少しでも不幸な子たちが減るように、力を貸してください。
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*1:感染力・致死率が非常に高い感染症。「猫汎白血球減少症」や「猫ウイルス性腸炎」などとも呼ばれる。