まっぴらごめん~50歳からのセミリタイア挑戦~

老後は好きなことして過ごしたい! 生活のために働き続けるなんてまっぴらごめん。余生を「猫の保護活動」に注力するため、セミリタイアを目指して奮闘する日々を綴ります。

necotto誕生物語 #番外編

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necottoを語るうえで欠かせない2匹の猫の話

necottoは「保護猫共生賃貸」です。保護猫を最低一匹でも飼ってくださることが、necottoの入居条件です。僕がこのようなアパートを建てようと考えたのは、もちろん猫が好きだからに他なりません。新しいことに挑戦するなら、やっぱり好きなことに関連付けた方が一生懸命になれる、そう思ったからです。

ですが、僕にとって理由はそれだけではないのです。necottoは、マリンという、かつて僕の叔母が愛していた猫と、僕が飼ってきた猫の中でも特に印象に残るシロという2匹の猫への罪滅ぼしでもあるのです。

 

マリンのこと

もう、30年近く昔の話です。叔母は僕の家の隣で、マリンと暮らしていました。マリンは茶色の長毛MIXの雄で、叔母はいつも「気品がある」と自慢げに言っていました。叔母は独身で、小さな書道教室を開いて近隣の子供たちを相手に習字を教えたり、趣味で水彩画を描いたりしている上品な女性でした。叔母の住む家、そして僕と母と祖父三人で暮らしていた家、そのどちらも叔母から見れば父にあたる僕の祖父の持ち物でした。叔母の住んでいた方の家屋は老朽化も進んでおり、建て替えの話が持ち上がります。祖父にしてみれば、現在の僕と同じく「大きなローンを組むなら今がラストチャンス」との判断だったようです。

 

建て替えの話はとんとん拍子で進み、建て替えている間は叔母とマリンは僕たちの家で暮らしてもらうということになりました。

 

ところが、問題が起こります。その頃僕の家の方でも3匹の猫を飼っていました。その先住猫とマリンが、どうしても慣れないのです。顔を合わせれば流血のケンカになり、マリンはストレスからか、粗相を繰り返すようになります。

そこで僕ら家族は、マリンの新たな飼い主を探します。方々に声を掛け、前向きに考えてくださる方も居たのですが、やはりその先でも粗相や慣れないとの理由から、引き取りは実現せず戻されてしまいました。

そして途方に暮れていたところに、叔母が口を開きます。「このままだとマリンは弱って死んでしまう。だったらもういっそのこと、保健所で処分してもらおう」と。当然僕は反対しました。しかし、叔母は頑として聞きません。もう覚悟を決めていたのです。居候のように僕たちの家で世話になっていること、その家で自分の猫が悩みの種になってしまっていること、他にも様々な要因があったのでしょうが、結局、叔母は一度口にしたその決断を、翻すことは無かったのです。

言い訳にもなりませんが、当時はまだ僕は保護猫の活動に対する知識もなく、保護団体に相談するなんて思いつきもしませんでした。僕は強い決意を秘めた叔母の目に気圧されるように、叔母の提案を受け入れます。そして僕がこの手で、マリンを保健所に連れて行ったのです。

僕はその日から許されることのない罪を背負いました。その時保健所まで付き合ってくれた友人にも、悪いことをしたと心から申し訳なく思っています。

 

それから間もなく、叔母は亡くなります

建て替えた家の完成を見ることなく、心不全で。救急車の中で叔母が事切れるのを看取ったのも、僕でした。

平成4年9月。マリンのことを最も愛し、マリンに対して最も呵責の念を抱いていたであろう叔母は、新しい家で暮らす事より、マリンのそばにいることを選んだのかもしれません。いや、結局叔母の寿命を縮めたのも、僕だったのでしょう。

火葬の際、棺の中の叔母の耳元には、叔母が描いたマリンの水彩画が入れられていたことを、今も鮮明に覚えています。まだ52歳という若さでした。

 

シロのこと

それからちょうど10年が過ぎた平成14年春、シロと僕は出会います。

地元の運動公園の、電話ボックスの中でピャーピャー鳴いていました。僕が近づくと「待ってたよ!」と言わんばかりに擦り寄ってきて離れません。まだ乳離れしたばかりと思われる小さな子猫、僕は連れて帰ることを即決します。

 

 

シロは名前の通り純白の雄猫で、オッドアイの美しい猫でした。

本当に人間が好きで、初めての人だろうと誰だろうと、擦り寄って甘える、ちょっと猫らしからぬ猫でした。いつしか僕の仲間内では「接待部長」と呼ばれるようになります。シロに会いに僕の家に遊びにくる友人すら居たくらいです。

 シロは長年猫を飼ってきた僕にとっても特別な存在となります。そう、叔母にとってのマリンのような。

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僕はマリンの一件以来、もう二度とあんな思いはしたくない、守ると決めた命は必ず最後まで守ると決めていました。それで僕のマリンへの罪が消えるわけではありませんが、少しでもそれがマリンの供養に、いやそれは自分への言い訳に過ぎないのですが、決して無駄ではないと信じられるものが欲しかったのです。

 

necottoの計画が持ち上がった時、これでまたマリンへの罪滅ぼしができると、そう思いました。

シロは、これまで以上に接待部長として活躍しました。打ち合わせに来る設計士の先生や業者、他の子が逃げ隠れる中、シロだけが誰にでも擦り寄り、愛想を振りまきます。僕たちがいかに猫のことを考えているか、それをシロは態度で示してくれました。シロがnecottoの計画にどれだけ貢献してくれたか計り知れません。

 

そしてついにnecottoの工事が始まります。

そして、当初の予定通りならnecottoが完成していたはずのH28年12月、シロは亡くなりました。享年14歳。若くはありませんが、現在の室内飼いの猫としては早すぎると言っていいくらいの最期でした。

夕方いつもように餌をねだり、お腹一杯食べ、満足そうに顔を洗ってるのを見届けて、僕ら夫婦はその日の夕食を外で取るため外出し、戻ってきた時には事切れていたのです。いったい何が起こったのか分かりませんでした。ゆすっても抱き上げても、シロに反応が無いのです。息をしていないのです。

 

僕は、妻の目も憚らず泣きました。声を上げて、わんわん泣きました。

 

最期に一緒に居てあげられなかったこと、助けてあげられなかったこと、シロが僕にくれたものの大きさ、その全てが涙になって溢れ、止めることができませんでした。

 

今でも、僕の中にはマリンとシロが居ます。彼らに対する申し訳なさが、今の僕を突き動かすひとつの原動力になってくれています。彼らは多少でも僕を許してくれるでしょうか。僕を見守ってくれてるでしょうか。

 

彼らの為にも、僕はこのnecottoという試みを、失敗するわけにはいかないのです。

 

 

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